徒然なるままに

こころもよう

被害者と加害者の定義

私の精神が壊れた恋愛を人が聴いたら、ある人は私を被害者というだろうし逆に、ある人は私を加害者だというだろう。

    結局、被害者と加害者を分けるものは、いきなり無差別殺人に巻き込まれたというような、そういう一方的なものでない限り、その時の世論とか、口が達つか否かとか、そういう曖昧なものだと思う。

   自分が全くの被害者だと思って生きている人には、私から言うことはない。その場合は先ほど前例に挙げたような本当の被害者の場合も多々あるだろうし、また、そうでない人も私が裁く権利などないから。

   ただ、自分が加害者だと思って(または、まわりから言われ)苦しんでいる人、あなたが、本当に加害者で、その相手は本当に被害者なのだろうか?人はよく善人、悪人と白黒ハッキリと選別するけど私に、言わせれば善人や悪人など、ハッキリと分けること自体、間違っている。刹那的に、その時○○は善いことをした。その時○○は悪いことをしたなら私にも分かるが、そもそもこの世に善人など存在するのだろうか?善人は悪行と呼ばれる行為は決してしないのか?。叩いてホコリの出ない人などいないとは、よく言ったもので、全く悪いことをしない人など私は見たことない。自分は、全く悪くないと主張している人なら、よく見るが。

    だから、たいがいは白黒ハッキリと全て○○が被害者で全て○○が加害者なんてことはないと思う。ある部分では自分は加害者なのかもしれない。またある部分では自分は被害者である。特に恋人同士だったとか、そういう長い時間、深く関わった人同士なら、お互い、白の部分も黒の部分も沢山あるはずだ。

   ならば、開き直って、好き放題してもよいか?

   否!!

   だからこそ、自分が被害者だとか加害者だとかではなく、自分の出来うる限り相手の幸せを考えて動くべきだと思う。

   相手の幸せを考えた行動を取る。言ったり思ったりするのは簡単だし当然に思えるけど現実に実行するには自分の命を経つ以上の苦しみを伴うこともあり、なかなか出来ることではない。

   しかし、そういう気持ちを持つ、相手を尊重する気持ちを持つ、そういうことを続けていけば、いつかは、その相手の幸せを考えた行動が、取れるようになる時が来ると思う。

    私は、まだまだ弱く未だに精神病院通いだけど、そういう心を忘れないで、生きていきたいと思う。

    自分は、被害者でもあり加害者でもある、善でも悪でもある人間だと自覚したうえで、自分を含めた、みんなの幸せを考えられる人間で、ありたい。