徒然なるままに

こころもよう

さあ にっこりしろよ 明日よりも今日がましさ

私の記憶が正しければ、タイトルの文言は、マーフィーの法則の一つだ。
博学で、若い方は、〔馬鹿いうな。マーフィーの法則とは似ても似つかぬ〕と思うと思います。
世に言う、マーフィーの法則は、ジョセフ マーフィーの法則で、潜在意識に働きかければ思いが叶うという感じのことを学問として説いていたと思う。
しかし、今から20数年前に、エドワード マーフィーという人物のマーフィーの法則が、大ブレイクした。内容は、ジョセフ マーフィーの唱えた法則とは、似ても似つかぬ、皮肉めいていて、面白くて思わず納得してしまうようなものだったと記憶している。あまり、為にならないことばかりだったけどひねくれて絶望して生きていたあの頃の私の心は、鷲摑みにされた記憶がある。
それを、何故が、今日、思い出しました。
多分ベストセラーになったのでは?と思うほど、売れていた本だから、古本屋にいけば、手には入るかも。今、エドワード マーフィーの法則を私が、読んだら、どう感じるのか、興味深いなぁと思っています(*⌒▽⌒*)

私の生きる意義

ここに集いし我らは
誇りも高きインターアクト
地域社会に奉仕の理想
示せ今こそその誠
微笑みを持て
差し伸べよ手を
世界を結ぼう
インターアクト我ら

うろ覚えで書いたので細かい個所は違っているかもしれませんが、インターアクトクラブの歌です。
インターアクトクラブって何?と皆様、思うと思います。実は、私も、よく分かっていません(^◇^;)
上記の歌から、だいたい想像が、つくかなぁと、勝手に私も、解釈しているだけです。
私が、高校生の時に、複数のクラブを、掛け持ちしていましたがインターアクト部の部員では、ありませんでした。しかし担任から、インターアクト部の手伝いを、何度か頼まれて、活動には、幾度か参加しました。まあまあ、楽しく手伝った記憶が、あります。
地域社会に奉仕の理想、示せ今こそ、その誠、微笑みを持て、差し伸べよ手を。世界を結ぼうインターアクト我ら。
私は、上記のような立派で壮大な地図は持ち合わせていません。
それどころか、なんのために生まれなんのために生きるかも、まだ、うやむやです。
宗教を持っている人は、本当に羨ましいです。なぜ生まれて、なせ生きるか全て神が示してくれているからです。ですから、私は、沢山の宗教へ足を運び沢山の宗教を学んできました。学生時代に救いを求めてですが。しかし、残念なことに、どの宗教にも、ハマることは出来ませんでした。宗教の信仰をしている方は、皆、自分の宗教が、なぜ正しくて、他の宗教は、なぜ間違っているかを誰もが論破できないくらい自信を持って語ってくれました。
それは、そのはずです。論破できる教えでは、宗教として成り立ちませんので。よその宗教が間違っていると論破できる理由は、マスコミや、その宗派でない人の情報をもとに論破しているだけで、その点に関しては浅はかと私は、思っていました。それなのに自分の宗教についてマスコミや世論が、否定的なことを言っていると、それは、間違いやデマでバッシングだと、どの宗教の方も言っていました。
話しが、それましたね。宗教を持っている人は、なぜ生まれて、どう生きるべきか、しっかりとした地図を持っています。これは、とても素晴らしいことで、羨ましいことです。
残念ながら、私は、その地図を持っていません。
しかし、最近、自分なりの地図の破片を見つけた気がします。
地域社会に奉仕の理想や世界を結ぶみたいに、大それたものは、持ち合わせていませんが、自分の近くにいる人に、たとえ自己犠牲を伴っても、手を貸し力になる努力をする。それが、最近、私が、見つけた自分の人生の地図の破片です。
間違いかも、しれない。勘違いかもしれない。だけど、私は、今、上記のように感じています。
〔示せ今こそ、その誠〕
インターアクトの歌で、この文言がとても気に入っています。私なりに今、地図の破片を見つけた。
〔示せ今こそ、その誠〕
私の小さな誇りを鼓舞するのに、ぴったりのこの言葉、とてもとても気に入っています。

なんのために私は生まれたか

今の私は、死に憧れている。大学1年の時に、精神を患ってから、ずっとだ。
以前に、何故生きているか、書いたが、私が死んだら妻が困るからと両親が悲しむからだというのが、生きている理由だ。
ただ、それだけの理由で毎日を苦しみながら、生きている。
だが、精神を患う前、私は、ずっと他人に、
〔ホッとする存在。優しい人。〕と言われ続けていた。小学生の時の恩師である〔おだかせつこ先生〕には、褒め言葉として、お節介焼きと常に言われていた。おだかせつこ先生は、私の一二年生の時の担任で、小学校を去る時に、花束贈呈を私にしてほしいと言って下さった方です。
今、思い出したら、幼少の頃から、私はずっと、自己犠牲を伴っても、他人の為に行動をする人間であった。大学1年のあの、精神崩壊のきっかけも、彼女への自己犠牲による献身が、きっかけだった。
ただ、その時、違っていたことは、私がその自己犠牲に、耐えられなかったことと、その後の彼女の変貌ぶりだった。その話は、トラウマとして約22年かけて、心の奥深くに、やっと封印したものなので今は掘り起こさないようにする。
この封印が、出来て、やっと少しだけ、まわりを見る力が僅かだが戻って来た。
昔のようにパワフルな、まわりへの献身には、まだほど遠いが、今、少しずつだが自己犠牲を伴っても、周りの人間を助けるという行動が、自然と、とれている場面を感じるようになった。
もちろん精神を患っている上での上記の行動は、私の精神を激しく揺さぶりバランスが取れなくなることに、なる場合が多い。
しかし、最近、私は、思い出した。私は、こういう人間だったのだと。
もし、人それぞれに、なんのために生まれたかが、決まっているならば、私は、自己犠牲も顧みずに近しい人を助ける為に生まれた存在なんだと、そう思う今日この頃である。

あたり前田のクラッカー♪

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久しぶりに、ブログの更新をします(*⌒▽⌒*)
あるレトロなスーパーにいったら、あたり前田のクラッカーが置いてありました(*⌒▽⌒*)
YUlTAのテンションはMaxになり、嫁に、〔あたり前田のクラッカーだよ!!〕と言ったのですが、〔なにそれ?〕と意外な反応が、返ってきました。
〔えっ?有名でしょ?あたり前田のクラッカー!〕
必死に言う私に嫁は、〔あなただけでしょ。〕と無反応(^◇^;)悔しくて職場でみんなに、〔あたり前田のクラッカー知ってますよね?〕と聞いたら皆、知っていると(o^^o)だけど若い人には、聞いていないですが(笑)
どのくらいの年代まで、有名なのかなぁ?と思いながら、本日、購入し、クラッカーを食べました。
味は、特別に、変わりのないクラッカーでした(o^^o)皆様も、あたり前田のクラッカー、ご存じでしょうか?(o^^o)

謎の老婆の死の予言

私は、大学1年生までは、死にたいなんて、全く考えなかったし、死にたい人なんて、テレビなどで見る、よその人の話しだと思っていた。だが今現在、私は、死に憧れている。何故、こうなったかは、上手く説明出来ないが、私が、思い当たる話しを書こうと思う。
私が、大学1年生の時、私は、自信にみなぎり、自分に出来ない事などないと、思っていた。同棲していた彼女もいて、幸せの絶頂期だった。そう、あの老婆に会うまでは…。
私と、彼女は私のアパートで一緒に寝ていた。
深夜に、嫌な空気が、漂いはじめ私は、目を覚ました。その嫌な空気は、寝ている足元のほうの壁の方から漂っていた。私は、その方向に、目をやると、恐ろしい形相の老婆が、そこにいた。
私と、老婆の目が合った時、老婆は、私に言った。
〔お前は、もうすぐ死ぬんだ!〕と。その言葉を発した後、老婆は、恐ろしい声で、高笑いした。
私は、あまりにもの恐怖に震えながら、必死に、
〔なんだ、お前は!〕と体全体、震わせながら、老婆を指さし、言い続けた。隣で寝ていた彼女も、私の異変に気づき、〔YUlTAどうしたの?〕と、何度も私に言った。
それから、私は、彼女と喧嘩するようになり、
いろいろあって彼女は私の元を去った。社交的だった性格も、だんだん曲がっていき、友達とも、疎遠になった。その頃には、もう、苦しくて苦しくて、1分でも、1秒でも、生きていられないという精神的苦痛が、24時間、絶えず続いていた。そして、奇妙な行動を取ったり、自分で、自分を陥れる行動を好んで、とるようになった。それからずっと、もう無理もう限界。死にたい。死のう。と、頭の中で、考えて生きていった。結局、死なずに今も、生きているが、
あの謎の老婆に会ってから私の人生は180度変わった。死にたいなんて、考えたこともなかったのに、死に憧れるようになった。そして今でも私は、死に憧れている。今でも、あの謎の老婆の言葉が、私の心の奥深くに、残っている。