徒然なるままに

こころもよう

応えられた祈り

大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
生命を授かった

求めたものは一つとして
与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた

神の意に添わぬ者で
あるにもかかわらず
心の中で言い表せないものは
すべて叶えられた

私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ

J・ロジャー・ルーシー神父

俺も頑張る☆彡

何事も口で言うのは簡単だ。しかし、実行するのは難しいことが、多い。今まで、出来なかった事や、逃げてきたことを実行するのは尚更だ。自分の壁を越えなければならないからだ。
私は、今、ある人に、壁を越えて頑張ってほしいと思っている。簡単なことではないので、ストレートに、そして軽はずみに、それを言わない。
その代わりに、自分が、自分の壁を越えるように、頑張っている姿を、その人に見てもらって、その人の勇気に変えてもらえたらと、頑張っている。
大学付属病院の精神科には、何年も通っているが、予約日以外に、駆け込んだのは、今週の木曜日が、初めてだ。限界を越えようと、しているのだ。当然こうなる。私には簡単に、友に、無理しなければ、出来ないことを、理屈だけで、言うことは、出来ない。自分越えの難しさは嫌と言うほど分かっているからだ。だから、私は、言葉ではなく、実行という形で友に、勇気を伝える。私は、私越えを、がむしゃらに頑張る。それが友の勇気へと、変わりますように。
最後に、何をするにも、どんな理由からでも、自分で決めて実行することは、全て自分の為に私は、している。自分の航海を、他人の為と決して思ってはいけない。他人の為と思うのなら、その航海は、するべきではない。これは、私の人生で学んだ、数少ない、真実だと私は確信している。

今年1年間ありがとうございました(*⌒▽⌒*)

今週のお題「2017年にやりたいこと」

今年最後のブログに、なります。つれづれなるままに、好き勝手、書いているブログなので、始める前は、一人も読書が、つかないと思っていました。
予想に反して、沢山の読書様が、読んで下さって、とても嬉しいブログとなりました。皆さま、本当にありがとうございます┏○ペコッ

自分の精神科通院中という肩書きに甘えて、沢山、ネガティブなことや愚痴も書かせていただきました。
 ブログと全く関係ないのですが、私の大切な人(恋人ではないです。)が、年の瀬から、心に深い傷を負い、苦しんでいます。私は、決めました。
その人が通常運転に戻るまで、私がしっかりして、その人の受け皿に、なると。
また、私の頑張りが、その人に少しでも、伝わり、その人も勇気を出して、今の地獄から抜け出してほしいと願いながら頑張っています。言葉で伝えても、そんなこと、ユイタに言われなくても、分かっている。出来るなら、もうしている。と必ず思うと思います。ですから、私の頑張りをエールとして、ほしいと、心より思っています。
この行為も、その大切な人の為ではなく、自分自身の為です。どこまで、できるか?伝わるまでできるか?元気になるまでできるか?自分自身の為の、勝負です。私は来年も、頑張ります。大切な人へ、私の気持ちが、どうか届きますように。そして、それが、大切な人の勇気に変わりますように(祈) 

○○さんの為に負けない!

よく人は、○○さんの為にも絶対負けないと、誓ったり宣言したりします。しかし、それは、○○さんの為に自分は戦っているんだ。傷ついても頑張っているんだと、なんだか、戦う理由が、主体性に欠けているように私には、思えます。
○○さんの為にも戦う。これもアリだと思いますが、戦いを決意し、戦うのは自分です。
ですから、○○さんの為に戦うのではなくて、自分の為に戦っているんだという主体性を人は、持つべきだと思います。傷つくのも自分の為、苦しむのも自分の為、そして○○さんを守るのも自分の為。
そう、戦いは人のせいでやるものでなく、全て自分の為にするべきものであると私は、思う。
そして私は、今日も私の為に、死に物狂いで戦う。
そう、誰の為でもなく自分の為に今日も戦う。

愚か者から神様へのお願い。

他人のプライバシーの話しなので、詳細は、一切、書きません。ただ、それでも全知全能の主ならば、内容を理解されると思います。

アラーよ、私自身が、当事者で、腹を割って、ゆっくり話せる機会が、欲しくて何度もアラーに願いを告げた時は、願いは却下されましたね。自らの為の願いでしたので、いたしたかがなかったと今では割り切っています。

しかし、今回のアラーへの願いは、私事では、ありません。
内容も全てを知るアラーには説明の必要は、ないと存じます。
アラーよ、願わくば、あの二人にゆっくり話し合える機会を作り、双方に双方の気持ちが伝わり、良き未来を、あの二人に、与え給うて下さいませ。
今こそ、この、愚かな私に、神の御心を、お示し下さいませ。