キミと袂を分かつてから、生死をかけた闘いが、始まった。
キミが想うこと全てが俺を壊すからだ。
だから、四六時中、絶望と闘うこととなった。
俺にとって、キミは世界、人生、社会、そのものだからだ。
キミと袂を分かつてから20年以上経った今も、それは、変わらない。
キミは俺を忘れているだろうが、俺は、常にキミの幻影と闘っている。
補足……某歌詞に似ていると感じるかたが、いると思うが、私は、その歌詞に影響をうけて自分の気持ちを書いているからである。
キミと袂を分かつてから、生死をかけた闘いが、始まった。
キミが想うこと全てが俺を壊すからだ。
だから、四六時中、絶望と闘うこととなった。
俺にとって、キミは世界、人生、社会、そのものだからだ。
キミと袂を分かつてから20年以上経った今も、それは、変わらない。
キミは俺を忘れているだろうが、俺は、常にキミの幻影と闘っている。
補足……某歌詞に似ていると感じるかたが、いると思うが、私は、その歌詞に影響をうけて自分の気持ちを書いているからである。
あるところに二つの山がありました。
お互いに向かい合うようにそびえる山にはそれぞれ1匹ずつのオスとメスのハリネズミが住んでいました。
二匹はそのうちお互いに恋に落ち、熱烈に愛し合ったのでした。
そして、二匹のハリネズミは自分達の山をおり、中間のふもとにやってくるようになりました。
そして、ある晩二匹はつよ〜〜くつよ〜〜く抱き合おうとするのですが、お互いのハリが体に刺さってとても痛がったのです。
仕方がないので、二匹の間に距離を置くのですが、愛し合っている二匹は少しでも近くにいたいという思いから近寄ります。
でも近寄るとやっぱりハリが体にささっていたいのです。
そんなこんなを繰り替えしてようやく二匹はハリが体に刺さらない距離をみつけだしたのでした。
己の弱さや不甲斐なさに、どれだけうちのめされようと、心を燃やせ!歯を食いしばって前を向け!君が足を止めて膝まづいても時間の流れは止まってくれない。共に寄り添って悲しんではくれない。
昨夜から、朝にかけて仕事をしてきて、帰宅。ADHDと思われる部下に、今日は、イライラ。
部下の能力や特性を把握して、働きやすい環境を造るのが俺の仕事なのに、それに疲れた。ADHDと思われるAさんは、俺のそんな様子に気づきもせず、
なけなしの、お金で、ファンタを俺に買ってくる。いつも、「今、カロリーきにしているから」と言って買う前に、阻止をしようとするのだが、お構いなしだ。気持ちだけで、充分だから……。とも、いつも言うのだか、これも、お構いなしだ。さすがに、買った後も、いらないとは言えないから、じゃあ、今回だけ、ありがたくいただきますと言って結局
毎回、貰ってしまっている。
彼は、とても良い人だ。ただADHDと思われる個性ゆえに、客とも、仕事仲間とも、トラブルを、起こす。俺は本当は、皆に、Aさんは、ADHDであるから○○なだけで理解してほしいと言いたいが、そんなことは、口が裂けても言えない。
今日は、忙しい中、Aさんの特性を理解しているのに、Aさんに対してイライラしてしまった。そんな自分に、自己嫌悪。少々、ウツぎみで、コタツに座っていたら、何故か、のど自慢のテレビが、ついていた。うるさいけど、消す気力もなく、ボーっとしていたら、特別支援学校に通う17歳の少年が歌う番になった。歌の名前は「ショボい顔すんなよベイベー」という知らない曲だった。少年は、目を輝かせ、車椅子に座り、かっこいいスポーツのユニホームを着て、とても、上手に、歌った。その歌を、聞いていて、昔の元気な自分、あきらめない自分、まっすぐ、ひたむきな自分を思い出し、胸が熱くなると同時に、今のショボい顔してショボい考えで、生きている自分を恥じた。そんな俺に、彼の歌は、ショボい顔すんなよと、励ましてくれた。その歌が気になり、先ほどユーチューブで再び聞いてみた。ユーチューブにて流れた歌は彼より上手だったが、彼の歌のほうが心に響く素敵な歌だったと思った。で、少し元気になり、今ブログを、更新している。少年は、俺の為に、歌ったわけではないけれど、俺は少年の歌のおかげで、また頑張ろうと今、思えている。今日、のど自慢で、ショボい顔すんなよベイベーを歌った少年に心から礼を言いたい。この気持ちは、少年に、届くことは、無いだろうが、それでも、この気持ちを書かずにいられなかった。少年よ、ありがとう。おじさんも、ショボい顔したり、ショボい考えに捕らわれたりしたときに、また君の歌を、思い出して頑張るよ。だから君も、いつまでも、輝いていてね。
時間の使い方は、そのままいのちの使い方。置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。「こんなはずじゃなかった」と思う時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
渡辺 和子
私は、人から、優しいとよく言われる。人に、優しくするときに、お互いが、ほんわか出来る優しさを向けることは簡単だし、気分が良い。でも、自分の気持ちを、押し殺して、相手に与える優しさを、実行するときは、とても苦しい。後者の優しさを、実行するときは、強さが、必要である。弱ければ、自分が、潰れてしまう。自分が潰れてまで、相手を守るって、本当に、身が持たない。それなら、むしろ包容など、しないで、自分の心を守ったほうが、気持ち良いし、楽だと思う。
それなのに、私は、それでも人に、優しくしたいし人を、傷つけたくないという気持ちを持っている。
天の神様、私に、自分が傷つく覚悟と、その傷に耐えられる強さを、与えて下さい。私は、その二つを兼ね備えた人のみが、本当の意味での、優しい人だと思います。そして私は、本当の意味での優しい人に、なりたいです。
大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
生命を授かった
求めたものは一つとして
与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意に添わぬ者で
あるにもかかわらず
心の中で言い表せないものは
すべて叶えられた
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ
J・ロジャー・ルーシー神父