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凄まじく復縁できる方法?

ブログのスポンサーさんなのだか、よく分からないけれど、私の前のブログを見たら〔凄まじく復縁できる方法〕という案内が、あった。
…………………なるほど……………………………。
確かに、復縁……………………………魅力的な言葉だ。……ブログの内容から見て、その広告は、ぴったりだ。
しかしね、私が彼女と別れたのは、もう22年も前のこと。別れてすぐなら、ワラにでもすがるぐらいのレベルで、そう、例え悪魔に魂を売ってでも、復縁したかったから絶対、飛びついただろう。今でも、魅力的に感じるくらいだから。でもね、もう、別れてから22年経っているんだよ。お互いの立場が、それ(復縁)など、許さない。そう現実放れしていて無理なのは、馬鹿な私でも分かる。私も、子どもこそいないが結婚している。彼女も結婚しているであろう。子どももいると考えたほうが自然だろう。付き合っていた時、同じ道を歩いていたとしたら別れたとき、別々の道を歩き始めたといえる。分かれ道から22年、歩き続けたのだ。もう修正は不可能である。当たり前の話しだ。魅力的だけど現実放れしすぎているから、飛びつこうとは、全く思わない。〔おととい来やがれ〕という言葉があるが私の場合は〔20年以上前に、出直して下さい〕です。〔覆水盆に返らず〕です。私の場合、もう水がこぼれ落ちてしまっています。どうしようもありません。過去に戻してくれる力がない限りは…ね。
しかし、思い人と別れてすぐの人なら飛びつくだろうなぁ。ワラにでもすがる気持ちで。
その気持ちを商売にする悪徳商法でないことを願いたいです。私の場合、もう過去の話しですが、まだ過去の話しではない人は絶対、飛びつきますよね。
その心を食いものにするのは、絶対やめてほしいと熱望します。

成仏できない恋

成仏出来ないというと、この世に未練が残るあまりに、死んでも現世から離れられないことを指すと思う。
大学一年の時の恋、それが正に、それに酷似していて、私の心から成仏出来ないものであった。
皆、〔女は彼女だけじゃない〕とか〔時間が、解決してくれる〕などと、一般的なことを言っていたが私にとっては、そんな簡単なものでは、なかった。
私の恋は、一年経っても五年経っても、十年経っても二十年経っても、成仏出来なかった。
しかも、苦しくて辛くて、もう1分でも1秒でも、生きていられないという苦痛が何年も何年も続いた。
これを言ったら、ウザい男とばれるけど、現実の私の思いだったので書かせてもらう。
私が、全く理解出来なかったのは、本気で恋して本気で相手の事を思った上で、お互い付き合った。
寝食も共にし身体も何度も重ね、ずっと二人でいた。それが、あるときに破局を迎える。そこまでは、理解できる。しかし、その破局に耐えられなくて、明らかに、おかしくなり、苦しみもがきヘルプ信号を出している相手を、仇のように睨み、罵声を浴びせる。怒りを顕わにする。
これが全く理解出来なかった。いくら別れたからって、何で今まで本気で付き合っていた相手が、あかの他人以下になるの?心配にならないの?そんな簡単に切り替えられるの?分からない。特別な人間だったんだよ。いくら別れて特別な人間じゃなくなったって、何で、そんなに平気なの?理屈通り、別れたあと、成仏出来ないで、おかしくなっている相手が、未練がましくて悪いと怒りを顕わに出来るの?
死にそうなんだよ。苦しみもがき異常行動が見えるんだよ。ヘルプ信号を出しているんだよ。なぜ、あんたは平気なの?
もし、ヘルプ信号に、少し付き合ってくれたり、話をしてくれたり、心配する心が私に少しでも届けば私は、ここまで、おかしくならなかったと断言する。その訳は、私の思いや苦しみながら思うことはずっと上記のものだったからだ。
私は、結局、自分を破壊し続けることを辞められなく助けて欲しいと思い、心療内科へ駆け込んだ。
それでも、私の異常性は、治らず未だに大学病院の精神科に通院している。
しかし、二十年経っても成仏出来なかった心が、二十二年して、やっと成仏出来た。
しかし、トラウマや精神異常その他にも私が溜めた負の遺産は未だに残ったままだ。多分、一生そのままだろう。
でも、それでも、やっと今、成仏出来たと言える心境になった。これが良い事か悪い事かは分からないが。苦節二十二年で、ついに成仏出来た。
やっと本当に心の底から、この言葉が言える。

〔ばいばい。いち子(仮名)〕

サタデー目覚ましセットして夢からさめると日曜日

一つ前のブログに書いた、大学時代の親友とのランチ、行ってきました。とても、楽しみだったのか、遠足の日に熱を出す子どもと、同じで、鼻水だらだら、熱っぽいという状態になりました(笑)
私は、朝10時まで、仕事でしたので、具合が悪くふらふらしながらドラッグストアへ直行しました。
店員さんが、〔何か、お探しですか?〕と聞いてきたので、〔即効で、鼻水が止まる風邪薬が欲しい〕
と、無理難題を言いました(笑)そうしたら、おすすめの薬を、教えてくれたので、買ってすぐ飲んで待ち合わせ場所に、直行しました。最近の薬は、性能が、良いのか、確かにすぐ、鼻水が、止まりました。後は、βエンドルフィン(脳内麻薬)が、出たみたいで、具合は、快調でした♪
海沿いの道から急な斜面を登ると、お洒落な店が、ポツンとあり、私のほうが、先に着いたので、先に店内に入り、コーヒーを飲みながら、親友を待ちました。海と、急な斜面と、登ってくる車が、まるでジブリのワンシーンみたいで、とても良かったです。で、約束の時間ぴったりに、大学時代の親友が入って来ました。それから、ランチを楽しみ、ランチの後は、屋外に出て、コーヒーを飲みながら、一面に広がる海と、紅葉しかけの美しい山を見ながら会話を楽しみました♪二時間くらいの間でしたが、とても楽しい時間が、過ごせました。
 そして、別れたあと5分くらいで、また体調が、悪くなり、ふらふらしながら帰宅です。βエンドルフィン(脳内麻薬)本当に出ていたみたいです。
以上、前回のブログの話しの報告でした。 

嫌いだった自分を好きと思えた日

私は、私が、嫌いだ。金の価値も分からずに、親に大学費用を出してもらい、挙げ句の果ては、大学時代の大失恋で、精神を壊した。その後も、自分を陥れる行為に、没頭し、沢山の絶対、消せない過ちを犯した。その為、今、負の遺産が沢山だ。社会的地位だけでなく、屈強だった身体も、難治療で、一生治らない病を持ち、精神も、未だトラウマから、逃れられずに、精神科に通っている。自尊心が強いくせに、今現在、他人より、秀でていることが、なにもなく、職場に行く以外は、引きこもりだ。
親父と、たまに雑談をすると、親父の博学さに比べて、なんで、実の子の自分が、こんなに能力が違うのかと、親父を尊敬する気持ちと共に、無能な自分に嫌気がさす。
こんな自分が私は、嫌いだ。

しかし、今日は、自分が好きに思えた数少ない日だ。引きこもりの私を気づかい、大学時代の親友が
だいぶ前に、紅葉狩りに誘ってくれた。
しかし、お互いの都合が、なかなか合わなかったので、紅葉狩りは、難しいという感じになった。
それでも、大学時代の親友は、時間を作ってくれて、その親友の行き付けの店で、ランチをと提案してくれた。そして、今度の日曜日に、ランチを一緒にという話しになった。私は、今現在、とても不安症で、日曜日に、約束通りの店にたどり着けるか不安になり、今日、ドライブがてら、その店に、行ってみた。普段、引きこもりの私には、ドライブも、刺激的なものだ。しかし、その刺激がとても嬉しく幸せに感じた。店に無事、ついて、ランチは日曜日に、食べるからモーニングを食べてきた。
それだけのことが、とても嬉しかった。親友の秘密基地では、ないが、行き付けの店に誘ってもらえたのが、まず本当に嬉しい。オードリーヘップバーン張りの美女にデートに誘ってもらうより、ベンツやポルシェをもらうより嬉しい。だから、今日は、その模擬練習だったのだか、すこぶる幸せを感じて、とても嬉しかった。親友に、食事に誘ってもらうだけで、こんなに幸せを感じられる奴、私は私以外に知りません。だから、今日は、普段、大嫌いな自分が、とても好きに思えた。

さあ にっこりしろよ 明日よりも今日がましさ

私の記憶が正しければ、タイトルの文言は、マーフィーの法則の一つだ。
博学で、若い方は、〔馬鹿いうな。マーフィーの法則とは似ても似つかぬ〕と思うと思います。
世に言う、マーフィーの法則は、ジョセフ マーフィーの法則で、潜在意識に働きかければ思いが叶うという感じのことを学問として説いていたと思う。
しかし、今から20数年前に、エドワード マーフィーという人物のマーフィーの法則が、大ブレイクした。内容は、ジョセフ マーフィーの唱えた法則とは、似ても似つかぬ、皮肉めいていて、面白くて思わず納得してしまうようなものだったと記憶している。あまり、為にならないことばかりだったけどひねくれて絶望して生きていたあの頃の私の心は、鷲摑みにされた記憶がある。
それを、何故が、今日、思い出しました。
多分ベストセラーになったのでは?と思うほど、売れていた本だから、古本屋にいけば、手には入るかも。今、エドワード マーフィーの法則を私が、読んだら、どう感じるのか、興味深いなぁと思っています(*⌒▽⌒*)

私の生きる意義

ここに集いし我らは
誇りも高きインターアクト
地域社会に奉仕の理想
示せ今こそその誠
微笑みを持て
差し伸べよ手を
世界を結ぼう
インターアクト我ら

うろ覚えで書いたので細かい個所は違っているかもしれませんが、インターアクトクラブの歌です。
インターアクトクラブって何?と皆様、思うと思います。実は、私も、よく分かっていません(^◇^;)
上記の歌から、だいたい想像が、つくかなぁと、勝手に私も、解釈しているだけです。
私が、高校生の時に、複数のクラブを、掛け持ちしていましたがインターアクト部の部員では、ありませんでした。しかし担任から、インターアクト部の手伝いを、何度か頼まれて、活動には、幾度か参加しました。まあまあ、楽しく手伝った記憶が、あります。
地域社会に奉仕の理想、示せ今こそ、その誠、微笑みを持て、差し伸べよ手を。世界を結ぼうインターアクト我ら。
私は、上記のような立派で壮大な地図は持ち合わせていません。
それどころか、なんのために生まれなんのために生きるかも、まだ、うやむやです。
宗教を持っている人は、本当に羨ましいです。なぜ生まれて、なせ生きるか全て神が示してくれているからです。ですから、私は、沢山の宗教へ足を運び沢山の宗教を学んできました。学生時代に救いを求めてですが。しかし、残念なことに、どの宗教にも、ハマることは出来ませんでした。宗教の信仰をしている方は、皆、自分の宗教が、なぜ正しくて、他の宗教は、なぜ間違っているかを誰もが論破できないくらい自信を持って語ってくれました。
それは、そのはずです。論破できる教えでは、宗教として成り立ちませんので。よその宗教が間違っていると論破できる理由は、マスコミや、その宗派でない人の情報をもとに論破しているだけで、その点に関しては浅はかと私は、思っていました。それなのに自分の宗教についてマスコミや世論が、否定的なことを言っていると、それは、間違いやデマでバッシングだと、どの宗教の方も言っていました。
話しが、それましたね。宗教を持っている人は、なぜ生まれて、どう生きるべきか、しっかりとした地図を持っています。これは、とても素晴らしいことで、羨ましいことです。
残念ながら、私は、その地図を持っていません。
しかし、最近、自分なりの地図の破片を見つけた気がします。
地域社会に奉仕の理想や世界を結ぶみたいに、大それたものは、持ち合わせていませんが、自分の近くにいる人に、たとえ自己犠牲を伴っても、手を貸し力になる努力をする。それが、最近、私が、見つけた自分の人生の地図の破片です。
間違いかも、しれない。勘違いかもしれない。だけど、私は、今、上記のように感じています。
〔示せ今こそ、その誠〕
インターアクトの歌で、この文言がとても気に入っています。私なりに今、地図の破片を見つけた。
〔示せ今こそ、その誠〕
私の小さな誇りを鼓舞するのに、ぴったりのこの言葉、とてもとても気に入っています。

なんのために私は生まれたか

今の私は、死に憧れている。大学1年の時に、精神を患ってから、ずっとだ。
以前に、何故生きているか、書いたが、私が死んだら妻が困るからと両親が悲しむからだというのが、生きている理由だ。
ただ、それだけの理由で毎日を苦しみながら、生きている。
だが、精神を患う前、私は、ずっと他人に、
〔ホッとする存在。優しい人。〕と言われ続けていた。小学生の時の恩師である〔おだかせつこ先生〕には、褒め言葉として、お節介焼きと常に言われていた。おだかせつこ先生は、私の一二年生の時の担任で、小学校を去る時に、花束贈呈を私にしてほしいと言って下さった方です。
今、思い出したら、幼少の頃から、私はずっと、自己犠牲を伴っても、他人の為に行動をする人間であった。大学1年のあの、精神崩壊のきっかけも、彼女への自己犠牲による献身が、きっかけだった。
ただ、その時、違っていたことは、私がその自己犠牲に、耐えられなかったことと、その後の彼女の変貌ぶりだった。その話は、トラウマとして約22年かけて、心の奥深くに、やっと封印したものなので今は掘り起こさないようにする。
この封印が、出来て、やっと少しだけ、まわりを見る力が僅かだが戻って来た。
昔のようにパワフルな、まわりへの献身には、まだほど遠いが、今、少しずつだが自己犠牲を伴っても、周りの人間を助けるという行動が、自然と、とれている場面を感じるようになった。
もちろん精神を患っている上での上記の行動は、私の精神を激しく揺さぶりバランスが取れなくなることに、なる場合が多い。
しかし、最近、私は、思い出した。私は、こういう人間だったのだと。
もし、人それぞれに、なんのために生まれたかが、決まっているならば、私は、自己犠牲も顧みずに近しい人を助ける為に生まれた存在なんだと、そう思う今日この頃である。